「次なる一歩へ ── 積み上げて『タワー』を作る」 柴幸男 インタビュー

2020年1月の愛知・長久手で初演、3月上旬に東京・HUNCHにて再演予定だった新作『タワー』は、ままごとにとって大きなきっかけとなる作品だ。これまで全作品の作・演出を手がけてきた柴幸男が、俳優たちと同じく「創作・出演」という立場で作品に向き合い、クリエーションの方法、さらには集団の在り方から問い直そうとしている。3月の上演は新型コロナウィルスの影響で延期となったが、クリエーションはメールやLINEでのやり取りを中心に、活発に続けられている。ままごとは今、何を目指しているのか。柴が『タワー』に賭ける思いを語った。なお本インタビューは、公演延期決定前の、2月中旬に行われた。

インタビュー・文=凛|撮影=石倉来輝(ままごと)


多摩美の学生たちから影響を受けた


──『タワー』は今年1月に愛知・長久手市文化の家にて初演された作品ですが、公演直前にままごとのTwitterで、スタッフクレジットの変更が発表され、また「従来の柴幸男作・演出による創作を解体し、ままごとメンバーで集団創作した作品を上演します」という決意表明のような一文が掲載されました(ままごとTwitter)。これは柴さんの提案によるそうですが、どのような考えから始まったことなのでしょうか?

『タワー』の稽古は長久手公演の1カ月前、2019年の年末には始まっていて、その段階から自分の中ではすでに、今までのままごとや柴幸男を解体したい、という思いがありました。それで、稽古に入るにあたって自分たちが今何をすべきか、みんなと考えたいと思っていることがあると、『タワー』のキャストの前で話したんです。で、「とりあえず自分たちが今面白いと思うことを、やったことがない方法で作ってみよう」という話になって。ただ『タワー』を企画した段階では『ツアー』やそれ以前の劇と同じように、僕が台本を書いて演出し、俳優たちが劇を作っていくという方法で考えていたので、チラシのクレジットは“従来通り”、「作・演出:柴幸男」という表記で進めていたんです。でも稽古が進んでいくにつれ状況が変わり、キャスト全員が「創作・出演」という表記へ変更になりました。

──柴さんが“今までのままごとや柴幸男を解体したい”と思うようになったのには、何かきっかけがあるのでしょうか?

大きく影響を受けたのは、昨年の多摩美術大学 上演制作実習の発表会です。昨年は3年生を受け持って、学生たちは7つのチームに分かれて企画から作品を作るということをやったのですが、7作品それぞれ作り方がさまざまで。その様子を見ながら、今までの自分や劇団が10年やってきたことを振り返ると、「これからまた同じやり方で作品を作っていくのは難しいんじゃないか」と考えるようになりました。

──学生さんたちはどのようなクリエーションを行っていたんですか?

方法は大きく2つで、1つはアクティングエリアの前に演出席がバーンとあって、演出家が俳優に指示して作っているタイプ。もう1つは例えば全員が立ったまま、あるいは寝転んで、ただしゃべりながら作っているタイプ。後者だと誰がリーダーシップを取っているのか、そもそもなんの稽古をしているのかもよくわからないという(笑)、そういう2種類の稽古の仕方だったんです。その前者のような稽古の仕方が、同じ19か20歳くらいの同級生同士なのに、かたや椅子に座って指示する演出家、かたや椅子に座らず指示を待つ俳優という画になっていたことがけっこうショッキングで。しかも僕は、後者のようにぐちゃぐちゃとしゃべりながら作っていたチームの作品の方が面白く感じて。もちろん僕自身、演劇の稽古はそういうものだと思い、演出家はこう、俳優はこうという場をセッティングして作品を作ってきたんですけど、ちょっとよくないものを教えてきたんじゃないかという思いが湧いて、これまでのやり方を考え直したいなと思ったんです。ということを、『タワー』のメンバーにまず話しました。それで、「じゃあどうやったら、これまでと違うやり方で演劇が作れるんだろう」ということをみんなで考え始めたという感じです。



作り方を変えるには、劇団にヒントがあるのではないか


──今のお話を踏まえると、まず最初に疑問に感じたのは、演出の在り方だったのでしょうか?

うーん……これまで10年間、僕が台本を書いて演出する、というやり方でずっと稽古をしてきたけれど、それに対する違和感を感じるようになって、やり方を変えたいと思いつつ、でもどう変えたらいいかわからなかったんですね。その時に学生たちのやり方を見て、自分もちょっと違うやり方をしてみたくなったというか。そのタイミングが『タワー』だったんだと思います。

──ただ、作家や演出家にとっては、自分の中にあるイメージを俳優の身体を通じて立ち上げることに楽しみや喜びがあるのではないか、と思うのですが……。

もともとそういう感覚が、僕はあまりないのかもしれません。それよりは、これまでの方法をなんとか変えたいという気持ちの方が強かったと思います。それと以前は「自分が変われば作品も変わっていく」と思っていたんですけど、自分が変わることで変えられる範囲はこれまで10年間でだいぶ試してきたなという印象があって、逆に集団ごと変えない限り、作れる演劇のバリエーションが増えないんじゃないかと思ったし、それには劇団に何かヒントがあるんじゃないかと。その第一歩として、『ツアー』では“一個の作品を各地で、劇団員のみで上演し続ける”ということを試し、『タワー』では集団でのクリエーションのあり方について考えてみようと思いました。

──集団創作という意味では、快快チェルフィッチュなど、作家や演出家、俳優がフラットな関係性でクリエーションを行うことを目指している劇団が、すでにあります。

そう、だから今回、ようやく快快のクリエーション方法が理解できたというか(笑)。同時に、僕らが目指すべきは、快快のやり方ではないなとも思ったんです。というのも、どこかで僕は、劇作家や演出家はちゃんと発動した方がいい、居場所を持ってやるべきだと思っていますし、その新しい居場所を俳優たちと作っていきたいと考えていて。そのために今、クリエーションをフラット化する必要がある、と思ったんです。


これは劇団員100%でやることだなと


──例えば柴さんより上の世代だと、クリエーションの仕方を変えようとなった時に、別ユニットを作ったり、あるいは劇団を解散するというような形で環境を変えてきたと思います。でも柴さんはそれとは逆に、劇団に注目したというのが面白いですね。

そもそもままごとは個々の集合体で、いわゆる劇団らしく集団で問題を解決するということをこれまであまりしてこなかったんです。でもやっと個人の時代が終わって、ここから集団の時代が始まるのかなと感じます。それと、僕自身が面白いと思う演劇の種類自体も、変わってきたのかもしれません。例えば何かをやらされている感じの人が舞台上にいることはあまり面白く思えない。逆にその人がやりたいことをやりきっている方が面白いと思うので、どうやったらみんなが思いっきりやれるのか、それにはどういう作り方をしていけばいいのかを今、みんなと話し合っています。なので、ままごとが「柴幸男の作・演出する作品を上演する団体」と言う枠組みから別の形にしていかないといけないなと。僕個人が拡張された団体ということじゃなくて、何によって僕らは集っているんだろうと考えた時に柴幸男を中心に、個と集団と演劇について考える団体、問いを共有する団体と言うことはできるんじゃないかと思っています。

──なるほど。では劇団の意味合いも、柴さんの中で変わってきたと言うことでしょうか。


そうですね。僕が主宰であることは別に変えたいとは思ってないんですけど、僕個人に依存し、集合している状態という劇団はあまり面白くないなと思って。僕はこの10年の間に劇団うりんこさんに出会って演出もさせてもらったことがあるんですけど、劇団うりんこの劇団員は、“児童演劇を作る団体”というところで集っている。なので代表が変わっても演出家が変わっても、劇団は維持されているというのが面白いと思うんです。そういうことが、自分たちでも定義できるんじゃないかと。

──そういった話を大石さん、石倉さん、小山さんにされて、柴さんとしては、3人がどのように受け止めていると感じましたか?

割とすっと受け止めてもらったと思います。薫子さんとあしも(石倉)さんはそもそもナチュラルに受け止めていたと思いますが、いっしー(大石)が特にすぐ反応していろいろアイデアを出してくれたので、『タワー』のクリエーションが一気に変わったと思います。

──『タワー』のクリエーションでは具体的にどのような稽古をしたのでしょうか?

あらかじめプロットのようなものは用意していたので、それを稽古場に持っては行きました。これまでだったらそれをそのまま流して稽古していったと思うんですけど、面白かったのはそのプロットを読んでも、誰も「もうちょっとこの続きが読みたいです」とは言わなかったってこと(笑)。それよりはそれぞれにやりたいことがあったので、僕を含めた出演者4人がそれぞれ、自分が一番興味を持てるものから順番にやっていって、作品にした感じです。

──いろいろアイデアが生まれる中で、これまでだったら柴さんが演出家として構成を考えて取捨選択していったと思うのですが、今回は?

ある意味では合議制というか、全員の感覚で決めていた……としか言いようがないですね(笑)。ただ多数決みたいなことは一度もしなくて、異議があればそこで試してみる、という感じでした。その過程で僕があるシーンの台本を書いたり、あしもさんが書いたり、口立てで作ったり、ということを重ねていきました。

──ということは、俳優たちへの比重も大きくなりますね。

そうだと思います。だから劇団員100%でやることだなとも感じました。


“戯曲の元に集う集団”としての「劇団」


──実際に1月に長久手で『タワー』を上演してどのような手応えを感じましたか?

僕にとってはけっこう面白い体験でした。創作過程自体もだし、実際に作った作品も今までの僕では作れない作品だったと思います。と同時に、本番前にはやっぱり僕が演出する必要が出てきて……というのも、作品を外から観る人が必要だということになったんです。で、僕が「演出を取り戻します」と宣言して、最後の調整をしたんですけど、長久手公演後のミーティングで、やっぱり企画のスタート地点に、ある種の戯曲みたいなもの……つまり、この作品が何にまつわるどういう劇で、どういう状態になることを目的にしているかという“戯曲的な何か”が前提として必要なんじゃないか、戯曲はやっぱり必要だったんじゃないかという意見が出てきて。HUNCH公演ではそれを踏まえて、まず僕が戯曲というか、言葉を用意して、そこから作品を立ち上げていこうということになりました。

──戯曲の意味、意義を再発見したということでしょうか?

うーん、たまたま今、僕らが必要だと感じたのは戯曲でしたが、創作上の役割をいかに個人に宿らせず、集うことができるかということなんだと思います。例えば国であれば憲法だけど、劇団の場合は戯曲の元に集う、というような。それ以前に僕が思っていた戯曲とは、物語があってプロットがあって、登場人物がいて、セリフがあって、それをそのまま上演すれば劇になるというもので、それを超えた欲望とか定義みたいなことも戯曲の中に閉じ込めなければいけないと思っていたんですね。つまり台本を読めばその外側まで作り出せるのがいい戯曲なのではないかと。でも今は、戯曲と実際に舞台上で語られる言葉は分離していてもいいのではないかと思いますし、僕たちが稽古場で語る膨大な量の言葉の、さらに大元になるような“書かれた言葉”が戯曲なのではないか、と。それをいっしーは「強い言葉が欲しい」と表現してたんだけど、そういう1つレイヤーの違う言葉だったら、僕が用意できるんじゃないかと考え始めている、という感じです。こういう試行錯誤ができるのは劇団だからという部分が大きくて、それも含めてエキサイティングだなと思います。

ままごと『タワー』(2020年1月 長久手市文化の家|撮影:長久手市文化の家)


次の一手を探すための“はじめの一歩”


──2015年に上演された『わが星』のキャスト座談会で、青年団の山内健司さんがおっしゃっていたことが印象的で「ままごとの人の集い方は面白いなと思ってて。新しい集団論っていうか(中略)今の時代に演劇をつくるのに最適化するような在り方を探してる感じがする」(『わが星』キャスト座談会 vol.2)とお話されていたんですね。その言葉に続けると、また今、ままごとは集団の在り方ごと一歩先に進もうとしているということでしょうか。

そうですね、象の鼻テラスや小豆島でやらせてもらったり、高校生とも一緒に創作したけれど、どれだけ「みんなで一緒に作りましょう」とか「劇場ではないところで作りましょう」と揺さぶってみても、柴幸男が作家で演出家である限り、根幹を変えるルールが設計されていなかった。それがある種の柴らしさ、ままごとらしさだったのかもしれませんが、逆に限界にもなっていたと思うんです。とはいえ、『わが星』再再演の時は、実は全然集団の問題には着手できてなくて、厄介だと思ってたくらいなんですけどね(笑)。

──活動10年目にして劇団を問い直すというところも、ままごとらしい感じがします(笑)。

まあ、今年劇団がHUNCHで定期的に公演をやれることになり、ミニマムに作品を作ってお客さんに観てもらえることになったので、今回のような舵が切れたとも思います。でも2、3年前からクリエーションや集団について改めて考えるようになり周囲を見回してみたら、同世代も上の世代も、みんな同じことを考えたり悩んだり苦しみながら「次の一手をどうしようか」って模索している感じがある。また、例えば愛知の劇団あおきりみかん鹿目由紀さんは、劇団主宰だけど2年間劇団活動を休んでいますし、どうしたら続けられるのか、発展できるのかをみんな考えてるんですよね。ままごとも、次の一手がまだはっきりと見えているわけではありませんが、今回ちょっと「えいやっ!」って踏み出して、「さあここから考えていこう」という感じなのだと思います。

(2020年2月中旬 HUNCHにて)


ままごと『タワー』の記録

ままごと『ツアー』『タワー』東京公演 特設サイト